2019.11.28
富士山にまつわる今昔物語
富士山5合目の観光売店、富士山みはらし様の1 階~3 階の階段ホールの壁に、オリジナルウォールペイントが登場!
もともと白い無地の壁紙だった場所に、「表情をつけてほしい」というご依頼でした。
制作期間10日間!作家の及川キーダさんに、1階から3階の広いエリアを大胆にペインティングしていただきました。一点もので見ればすべてが伝わる蒔絵のようなウォールペイントが完成しました。
「古代から現代までの時間の流れ」を意識し、富士山が 60 年に1度の庚申の年に誕生したといわれる伝説や富士山信仰の歴史などを紹介し、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)や神の使いとして崇められてきた猿、シャクナゲなどの植物を描いています。
また、吉田の火祭りやすすき祭り、富士講やサイクリストが山を登る様子なども描かれ、富士山の歴史やこの土地のことを楽しく知ることができます。
画家 及川キーダ
東京芸術大油画科を卒業。雑誌や広告でイラストレーションを手掛けているほか、曲に合わせたライブペインティング、展覧会など国内外で活動している。
富士山 今昔絵巻
富士山神話で伝わる木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)や姉の磐長姫(いわながひめ)、神の使いとして崇められてきた猿、みはらし名物の「噴火カレー」。「一富士二鷹三茄子」という縁起の良いとされるモチーフから、空には鷹、富士山に生息しているシャクナゲやシラカンバなどの植物や動物も描かれています
北口本宮冨士浅間神社の様子や吉田の火祭りやすすき祭り、富士講やサイクリストが山を登る様子も描かれ、古代から現代までの四季折々の富士山の風景や歴史、この土地のことを楽しく知ることができます。
庚申(かのえさる)
富士山が60年に1度の庚申年に誕生したといわれています。
富士山の女神 木花開耶姫
昔から富士山の神様は女の神様だといわれてきました。花が咲いたような儚く美しい女神だったそうです。 平安時代の「富士山記」という書物には富士山の山頂で天女が舞っているのをみたという記録があるそうです。
磐長姫(いわながひめ)
木花開耶姫のお姉様
妹とは対照的な容姿であり、岩のように力強く生命力のある女性だったと言い伝えられています。文献では「君が代」の「苔のむすまで」という一節の起源となった説もあり、纏った着物は苔を表した深い緑で描かれています。この壁画のちょうど裏手にある5合目の小御嶽神社にまつられていて、永遠の命の象徴とされています。
ここでは妹を見守るように描くことで力をあわせて富士山を守るという想いで描かれています。
富士講
奈良時代の頃は富士山は登る山ではなくて、遥から拝むものでした。平安時代になると富士山には神様だけでなく仏様もいらっしゃるということで修行者が富士山を目指すようになりました。室町時代になると一般の人を連れて富士山に登るようになり、みんなでお金を出し合って富士山に登る富士講が江戸時代には盛んだったようです。
火祭り 8月26日
富士山の噴火を鎮める祭りであり、木花開耶姫が火の燃え盛る産屋の中で無事に3人の子を産んだという古事に基づくとされています。そこから、防火や安産などのご利益があると言われています。
8月26日の午後、「お明神さん」と、富士を表す「御影」(お山さん)の2基の神輿が上吉田地区の氏子中を練り歩きます。暮れ方に「御旅所(おたびしょ)」とよばれる場所に奉安されると同時に、高さ3メートルの筍形に結い上げられた大タイマツ90余本が一斉に点火されます。約2キロ㍍に渡って煌々と燃えるタイマツが並び、迫力ある光景が街中に広がります。
すすき祭り 8月27日
8月27日夕闇迫る頃、二基の神輿が北口本宮冨士浅間神社に還御します。神社境内の「高天原」という場所を神輿が廻る後を追って、「すすきの玉串」を持った人たちが一緒に廻るとき、鈴の音があたり一面に響き渡り、幻想的な雰囲気を醸し出します。
安産や子育てのご利益があるとされています。
富士山みはらし
スタッフのみなさん。